果無峠(1,114m)は林の中 苔むした宝筺印塔の一部が残っていた そこからは緩やかな降り

果無の路には 33体の小さな観音さんの石像が祀ってあり これも励みにはなる。

左手に見え隠れする十津川も もう熊野川と言う方が似合いの川幅になっていて 彼方に見える広い河原が 白っぽく輝き 本宮近し と思わせる。

 

路は麓へ急速に下がって 民家の軒先を抜けて 熊野川の川岸に降りる そこからは国道を辿り 中辺路への合流点を目指す。 街中の旧道を歩いているとアイスクリームの幟 あれを買おう と店中に

入って求める。店先に木樽が置いてあって ホースから山水が流しッ放し トマトが浮いている

これも買おう ちょっと散財。 トマトを齧りながら歩く 美味かった。

 

国道から中辺路が通る山腹に上がる地点から見返すと 果無の尾根が見えていたが 矢張り

川岸からだと 約1000mの山並みは高く見えた。

中辺路に就き 整備されて幅もある路を辿る。余りアップダウンは無いが 2,3kmは続き

まだ大分あるのか? の声も出てくる。一日中歩いているので 最後の方に成ると 疲れも出て

一歩一歩が永くなるのだろう。

 

最後の「祓戸王子」が出てくる ここが本宮に一番近い王子だから 直ぐ近いぞ とする。

これは 四国遍路でも時折あったが 本宮も裏口から入るようなことに成った。

さすがに本宮は広く造りも立派である 幟に大書された三本足の八咫烏がイヤに鮮明。ロゴ?

参詣をして在京の病を得た友人の為にと 病気平癒のお守りと午王を求める。

その後 大斎原の大鳥居を観に行く カメラに納めるアングルに苦労するほどに巨大なものであった。

 

バス停で見てみると 川湯温泉には結構バスの便があり 歩きは止めてバスにする。

だが このバス 先ずは山中の湯ノ峰温泉に行った後に 引返して川湯温泉へ行くルート 

エラク大回りであったが 川湯温泉のバス停は 宿の直ぐ近くであった。

宿は家族で経営している 親近感があって料理も丁寧で ヤマメの塩焼きが出た。

人に薦められるだけの価値はあった。娘さんは 大学を出て都会に居たが 両親を手伝う為に

帰って来たと明るく気の良い人だったし NHK・TVで放映された ここから小一時間ほど

山中に入った畝畑の一軒家に住いする一家 印象深いその10年の生活記。

奥さんの実家は 直ぐ近くに在るとのコトだった。

 

食前 仲間の一人が 本命の本宮に来たのだから もうこれで帰ろうかな〜?なんて言い出すが 

ここは そういう話に乗らずに 最後の民宿は 期待できるぞ とし 雨模様になる可能性が

あるから雨具を荷物から出して置くようにとした。今日は 結構歩き甲斐があった1日だった。

 

C四日目 平成18522日 ;標準時間 7時間半

 (川湯温泉から 大雲取越えを経て 那智大社まで)

朝の天気予報も芳しくない。当初の計画では 標高400mの小雲取越えを過ぎて 一旦100mまで

降り小口に出て 再度本格的な山道 大雲取越えを経て 標高300mの那智へ出ることにして

いたが 雨になるコトを考えると 歩速はガタ落ちに成ろうし 石畳での「滑り」が問題。

その時には 日本手拭を裂いて靴にアイゼン代わりに巻きつけることを考えていたものの。

 

急遽 計画を変更して 小雲取はSKIP 小口までTAXIで行くことにして宿に手配を依頼。

主人が車で送りましょうとしてくれる。近年の大水の時の熊野川の氾濫は 田畑が冠水する 

では無くて 電柱の半分くらいまでに水位が上がったと。

降水量の多さもあるが 海に注ぐ河川が少ないことに加えて 谷が深く水路面積が小さいことが 一旦出水し始めると 短時間で水位を上げるのだろう。

 

小口に着き 果物や菓子を求めた後 路は直ぐ登りに成る。中腹には往時に 旅籠が多くあったという平坦地や 石組みの跡が多く残っている。矢張り 雨がぱらつき始める。

ここは中辺路のルートになるが 小遍路に比べて湿気が多い気がするし 苔の付き方も激しい。

4kmの登り最高点・越前峠(800m)の手前から雨が可也激しくなる。地蔵堂の休憩所で昼食にする。

ここには 那智の方へ抜ける林道が上がってきていて 飲料の自販機もあった。

“まいどおおきに 昼からも またきばっていきましょいな!”なんて喋る 艶消しやな〜

 

いよいよ本降りになってきて 雨具を被って 折り畳み傘も使う。 石のスベリを警戒したが

石畳は花崗岩で作られていた。その為に石のスベリよりも 散乱する小枝のスベリの方が

危険だった。雨中なので体温上昇が低く その点は幸いだったが 舟見峠だの 晴天であれば

熊野灘から潮岬まで一望できるものが 雨雲に隠れて全く・・・ではあった。

雨が多く路が流されるのを防止するため石畳か 自然石が連続して重なっているものが多い。

路も小刻みのアップダウンの連続 急坂もありで「歩き」応えが在った。

興に乗って越えた藤原定歌が 大海原を行くが如くに揺れた と書き残したとか。さもあろう。

午後五時近くになって 那智大社に着く。隣の西国観音33ヶ所の一番でもある青岸渡寺に

納経を済ませたら 五時の閉門時刻であった。那智の滝も見えていた。矢張り 大きい。 

土産に名産 那智黒を求めたが これが飴なので以外に重いのに 初めて気が付いた。

宿は 美滝山荘 名前は良いがチト安普請だった。が 夕食は結構いけた 地酒“太平洋”も。

ずぶぬれの靴には 貰った新聞紙を押し込んでおく。

D五日目 平成18523日  標準時間 8時間10

  (標高300mの那智から 海岸まで降る その後 海岸沿いに北上 新宮;速玉大社まで)

この日は良く晴れ上がった。那智大社から麓に降る 結構長い石の階段路。両側に林立する

杉の巨木。ここは 風情が在ったが 世界遺産登録 観光客がワンサで 苔むした石段が

丸坊主になりつつあり 土地の人は1日の入場者数制限か 履物を換えてもらうか だろうが

それも難しいか? と頭を抱えていると。C.Wニコル氏も世界遺産登録と成ると どこも

来訪者が一桁増えて 徐々に荒れてくるのが問題と 紀南の住人 宇江勝敏さんと話していた。

 

麓に出て振り返ると那智の滝が見えていた(海上からも観えるそうな)。海岸の那智駅まで降る。

中途で 同行二人と別れての歩きになり 会合点に着くも会えず そのまま北条政子の菩提を

弔った廟だとか 補堕落目指して熊野灘へ漕ぎ出し去った仏僧を祀った寺などを観る。

 

那智駅近辺で二人と会合し 海岸沿いに新宮目指して歩く。中途で 国道を歩くのは面白くない

バスに乗ろうになる。まあ 確かに変化も少なく 陽射しもキツイはある。

新宮駅で下車。熊野川の方角に出て速玉神社に行く。ここにはナギの大木が在る。

学生時代 吉野から紀州半島縦断で 速玉大社に来て ナギの実をお数珠のようにしたものを

求めたことがあり 今回も社務所で尋ねたが もうそれはありません。

代わって示されたのは 実を頭に見立てた紙細工のナギ人形 だと。

値段もそれなりに成っていた なんとまあ 世知辛いこと。

 

新宮は熊野川河口。良港が無い ということは 鮮魚は別の場所。で 汽車に乗って那智勝浦へ。

民宿 亀の井 近海マグロ専門の民宿。今年の目玉。

マグロの兜焼 一ケ 4,200円。事前に予約していないと時間的に調理できない由。

三人で取り組んだが これは結構いけた。

翌朝 汽車の時刻待ちで 海岸へ出てみた。近くに魚市場。遠くからでもカジキマグロが

並んでいるのが見えた。行くと整理中だったが 頭と尻尾は落として大きなドラム缶へヨイショ!

あれが原料だったのかな〜? そりゃ無いよね!那智勝浦の駅弁 さんまの姿鮨 これもいけた。

終りよければ 全て良しだ。 大阪・難波の中華料理蓬莱で豪華夕食後 フェリーへ。

これ又 結構だった。

 

           平成19330日  ― 1年遅れの記録 T.Miyamoto −