JA6SPFの熊野古道 移動レポート
 
熊野古道 小辺路:コヘジ (前半部) と 鈴鹿 石榑:イシクレ峠


  平成17年 五月連休明けに 高野山から山中を南下する熊野古道 「小辺路」 に出かけた。  その後 彦根の弟の家を根城に 鈴鹿山系 琵琶湖沿岸 の歩きや 永平寺や朝倉氏の一乗谷遺跡見物。

今回の 熊野古道;小辺路は 山中三泊四日;約70kmを二回に分けた初回。
1,344mの伯母子岳が一番高い場所と 高度はないが 山襞が重なり深いので 出会ったparty は東京からやって来たという60歳代後半の男性二人連れの一組だけ と久し振りの紀伊山地だった。

伯母子岳への道』 を撮った時は 二日目の宿を7時半に出たのと 稜線まで一気に登ったので午前9時半頃。 それが幸いして 太陽も未だ高くなく 逆光気味であったので 山中の雰囲気が出た。  

一緒だったのは 会社のOBで 70歳ながら前週は宮崎・市房山(1721m)に行っていた人と 最初の配属先で前の席に座った 同期入社の友人。
奥さんを亡くしたこともあって 始点が高野山宿坊であることも供養には好都合だと思っていた。 山歩きは余りやっていないが 行ってみたいとのことで一緒に。
ただ リュックの重さに閉口したようで 一日目の山中の宿から 宅急便;着払いで送り返したので 簡単なポーチと手にした袋に入れた 「握り飯」 のみ。

伯母子山頂の直ぐ下を 古道が巻いて走っている。 谷が深い(傾斜がきつい)ので 山肌を巻けず 頂上近くまで登らないと越えられない そんな山容だった。
山頂から少し下がった稜線上に避難小屋があり そこが降り道への入り口。

熊が多いので道中ワイガヤやって警告音を出せ から始まって イヨイヨの時には 
リュックを足許にゆっくり置いて徐々に後ずさりせよ と大書した図解付きの新しい大看板が建っていた。
(朝 出立した谷あいの宿には 熊の剥製があった)

降ると直ぐ道が分岐している。一方は谷を降っているのが見えるが 片方は再度の登りになっている。  下り道は明治22年頃に作られた新道であり 「古道」は復元した新々道の登り道を採らねば成らない。楽な「新道」の入り口には 
Wrong Traffic Turn Back (道が違うよ 引き返しな!)と英語表示の看板が建っている。これには ちょっと違和感を憶えた。

郷に入れば郷に従え で他地域に行くのであれば 現地語を習うべし 
それが土地に住まいする人への礼儀であろうし なんでこんな紀伊山中に英語の看板が要るのだろうか!  山中の集落で ここにはコンビ二エンス ストア SEVEN  ELEVEN が無いのですか?と尋ねて自己の社会の便利さを追い求めようと 愚問を発するのと同じ類いでなかろうか?
他人に親切にするのは大切なことだが しかし 方言は通じないから駄目だと 訛りを消して 標準語で話すのが良いとするのも 東京にちょっと居たからと ナンチャッテネ と言い出すのと同じ所業に思える。 大袈裟かも知れぬが 文化の多様性;IDENTITYは そうしたことから成り立つものと思う。

   伯母子山頂
 
この日 大股の宿から 三浦口バス停まで 24,416歩。

余談;
三浦口の宿が亭主の高齢化で泊まれなくなっている。十津川へ8Km降った川津にしか宿が無く 歩いて降ることにしていたが 出発の半月前から 事前に村役場に予約しておくと 夕方一本の村営バスが出ることになった。 宿の主人の連絡で手配 東京からやって来たという二人連れの五人で車上の人になる。

『鈴鹿の峠』  狙った八風峠(900m)は 谷一つ取り違えout!おまけに 3時
間のロス。
  
    *二万五千の地図を彦根の書店で捜したが在庫なし 仕方がないので一枚の滋賀県全図が頼り。
    
    *標高800m位まで 無人水力発電所がある神埼川の林道沿いに登るが 遂にdead end。 方角は見当がついてるし 残りは標高差100m。稜線を目指して強引に押し登ろうと2、3箇所巻いてみるが 最後は崖状に成り イワカガミの群生に出会えたことを交換条件に 断念する。
   神埼川

 引き返した標高320mの谷の入り口は午後3時過ぎ。陽が傾くまでに越えておくことと 暗い中での 山道下山では踏み外し易く 舗装道路が足許を確保できるので 国道・石榑峠(600m)に切り替える。 峠の手前には 鈴鹿山系に多い花崗岩の断層破砕帯の「切り通し」があり 両側を金網で覆って白砂が流出するのを防護してあった。
 暮れるまでには越していないと危険なので急ぎ 午後五時半頃に通過。
振り返ると 近江八幡の先 琵琶湖々面に夕陽が映え その先 湖西の山上には夕焼け雲がたなびく。
国道だが 通行車両 幅2m以下(巨大ブロックのバリケード) 2トン以下 冬季は閉鎖 と多くの制限付きの代物。 おまけにこの時は 20度位の傾斜で急激に落ち込んでいる三重県側で 道が崩落しており 全面通行止め!
 「本当に通れません」 の掲示が峠に設けた鉄柵にくくってある始末。
当方は歩きだから そこはどうにでも成るので と雲が掛かりだした峰を横目に 柵を乗り越える。
   *鈴鹿山系は 断層で三重県側が急に落ち込んでおり 崩落し易く 峠道の
通行止めは日常茶飯事 現場は 道の半分が谷へずり落ち 上から崩れてきたものよりも手が掛かる状態 復旧工事も半年経過。

陽が落ちて 下弦の月明かりの下 梟やヨタカが盛んに鳴く山中を降り 里中の田の中の道を 蛙の歓迎で歩く。  暗夜 人家の明かりは見えるものの 暗い平面空間は 腰を落として見透かしてみても 山中よりも方角の見当がつけ難く 反って歩き辛い。 自販機で出会ったお爺さんに尋ねるが 目指した桑名はこの時刻では 遠すぎるとされ教えられた一番近い交通機関 三岐鉄道三里(ミサト)駅に辿り着いたのが 午後8時40分。
 滋賀県側 谷あいのバスの終点・永源寺に降り 午前9時から歩き始めたので
11時40分 42Km。
   *昼食時の 30分程が纏まった休憩
  計画していた 近鉄養老線で大垣に出る便も 3時間遅れでは既に 終電が出た後。 名古屋へ出て 上手く繋がった 最終の米原行きのJ R快速電車 岐阜以降は各停で 米原へ 弟の出迎えの車で帰宅したのは 午前零時半。
 朝のトースト 昼のサンドウィッチ 林檎二個 夕食抜き の 『徘徊』行であった。

  当日の歩行 永源寺バス停から三里駅まで56,125歩。

 永平寺は 雨が激しくなり門前の食堂で カツどん定食を腹中に収めて 捲土重来を期す。
 湖北へ鯉釣りにも出かけたが 鯰の産卵遡上の方が早かったのか 50cm級が二匹 鯉の洗い が変じて 鯰の煮付けと味噌汁を肴に一杯やる破目に。

八風峠越え;永平寺参拝;鯉釣り の宿題を残した 旅 に終わった。
                                           −了ー

                           JA6SPF 宮本 (八幡西区)