宮本です
お遍路では 色々の経験をしますよね そうした中の一つに 室戸の 最御崎寺に近づいてきた時に
向こうから 午前9時近くでしたか 遍路姿の お婆さんが小さな四輪車に荷物を載せてやってきました
「お早う御座います!」と明るい大きな声で あれにはショックを受けました
歩きには シンドイ逆打ちですし 山上のお寺さんにはどうやって登るのだろう・・・と
人生には 多くの過ごし方があるのだな〜 と考えさせられました
皆さんの記憶にもあるかもしれません
で 最近読んだ 遍路旅日記(野宿放浪日記と題されています)
昨年 平成13年9月に 社風に合わない と会社を半分解雇された形で四国にやってきた
長野県飯田市の 独身男性
自宅から四国までは自転車 霊山寺に自転車を預けて 野宿遍路
元々が放浪の旅をアチコチでやっている人物らしく 今回は四国
従って 放浪者としての 彼独自の視点から「お四国」を観ており
「歩き遍路」が生活の糧を得る場所 に成っている人物 「生きる場」に成っている人物
等との会話などが記されており また異なった「お四国さん」の姿が見えます
その中に件の お婆さんの事が出てきます
そういうことも あったのか!? でもありますので ご参考までにmailにしました
*モノゴトを知る というのは難しい(知れば知るほど 解らない事が増える 反面 格物致知 とも言いますが)
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『11月2日 :(*本人は この日 昼過ぎに薬王寺を出発しています)
それから1時間ほど歩いたでしょうか、国道の対岸を、向こうからおばあさんが乳母車を押してよちよち歩いてくるのに会いました。
よく見れば、杖とすげ笠を持ったお遍路さんです。おばあさんが手招きするので道を渡って近寄ると、
「おめさん腹は減ってねえか。これ、オバア(自分のこと)がもらったやつだけど、食い切れねえからもってけ」 と、おむすびを3つ分けてくれました。おばあさんは、70歳は越えているでしょう。もう腰も曲がり、歯も前歯が少し残っているだけ。
服も持ち物も、決していいものではありません。しかし杖はしっかりと乳母車に縛り付けてあります。
「失礼ですけど、何度も回ってらっしゃるんですか」
「13年前からなあ。もう、60回まわったよ。逆打ちだと、こうしてみんなに会えるだろ。もうオバアは齢だから、山道はお大師さんに勘弁してもらってるけどなあ」
乳母車を見ると、しっかりとアウトドア用の銀マットが積んであります。老婆と銀マット。これほど似つかわしくないものもありません。
「まだ11月はあったかいけどなあ。冬になると雪も降る。去年は雪が深かったなあ」
「ずっと野宿で?」
「駅とか、バス停とかなあ。托鉢してな、知り合いが多いから、いつもお接待くれるんだあ。このむすびもなあ、
知り合いのおばさんが後から追いかけてきてくれたんだ。宿に泊まりながら歩く遍路は金持ちだから、
オバアにゃメじゃねえ。アニイ(ぼくのこと)は野宿だろ。だからむすび、わけてやるんだ」
「ありがとうございます」
「今日はどこまで行く」
「鯖大師まで行ければいいなあと思ってるんですが」
「あそこは泊めてくれるって話聞くぞ。オバアは泊まったことねえけどな。頼んでみるがいいぞ。
道中気をつけてなあ」
そしておばあさんはまた、よちよちと歩いて行きました。
うひゃあ、すごいのに会っちゃったぞ。ぼくははじめて、本物の四国遍路に触れた気がしました。
あのおばあさんが、信心に基づいたお遍路さんなのか、それとも職業遍路と呼ばれるいわゆるお乞食さんなのか、よくわかりません。
しかし、たとえ職業遍路だとしても、あれだけの年齢なら、生活保護とか、施設に入るとか、もっと楽な定住生活ができるはずです。
それとも、何か深い祈願をかけて回っているのでしょうか。彼女を苦しい遍路の道に駆り立てているものは何なのか。想像しようとすると怖くなります。
どこだったか前の札所で、60代くらいのおっさんのお遍路さんがいきなり 「これやるわ」と、
金色の納め札(巡拝100回以上の遍路が持つ札)をくれたことがありました。自慢のつもりなのかなんなのか、その時は困惑しましたが、今ではガイドブックの栞として重宝させてもらっています。
あのおばあさんみたいな歩き遍路もいれば、車を使って、チビ黒サンボのトラみたいにぐるぐる回って自慢する人もいれば、大型バスでどやどやと回り、写真撮ってうまいもん食って帰って行く団体さんもいれば、ぼくみたいにミーハー野郎もいる…。
四国遍路の世界は、なんか、すごいですよ。
11月22日 :(20日後 この日は 観自在寺を過ぎて 伊予の海が見え始めた処)
天気も快晴で、気持ち良く歩いていると、向こうから乳母車を押してよちよち歩いてくる、
遍路のおばあさんが。 見覚えのある人だなあ、まさか、と思ったら、やっぱり徳島で会った、おむすびを分けてくれたおばあさんでした。
なんでもう会うの!?とたまげながらも、この前の礼を言いうと、
「どうだ、あのムスビうまかったろ」 と言って今度はミカンを一つくれました。
托鉢遍路さんからもらってばかりではいかんので、ぼくもピーナッツチョコを一掴み接待させてもらいました。
「もう一周しちゃったんですか?」とぼくが聞くと、「おばあは、山には登らんから、一月で一周
しちまうんだ」とのこと。
見た目は腰の曲がった、ただの婆ちゃんなのに、恐るべき健脚ばばあです。
ここぞとばかりにいろいろ話を聞いたのですが、彼女は 愛知県 出身の73歳。60歳の時に遍路に出て、
以来四国を13年間回り続けているとのこと。
「どうしてまた四国に」と聞くと、小声でよく聞き取れなかったのですが、
「懺悔のためになあ」 と「四国にしかいられねェから」 という言葉は聞き取れました。
一時は、善根宿をしている農家(都築さんというお宅)に、農業の手伝いをしながら1年間住まわせてもらったこともありましたが、
「人に使われて暮らすってのはどうもなあ。歩いてた方が、飯の心配はあるけど気が楽だあ」
ということで、また遍路に戻ったそうです。
一時期腰の骨を折ったこともありましたが、入院などせず(そんなお金もないのでしょうが)歩き続け、お大師様に治してもらったそうです。ただしそれ以来荷物を背負うことができず、乳母車を接待で買ってもらって、それに掴まりながら歩き続けているとのことでした。
「一生懸命にお願いすれば、お大師様は必ず叶えて下さる。兄いはそうか、会社辞めて来たんか。
じゃあ一生懸命仕事につけますようにって拝め。結婚はまだしとらんのか。じゃあいい家庭に恵まれますようにって拝め。そうすりゃあ、お大師様は必ず叶えてくれるぞ。疑ったりしちゃだめだ」
おばあさんは家々を回り、托鉢をしているそうです。景気がよかったころは、歩いていれば家から人が出て来て、千円札を次々くれたものだそうですが、今では「恵んで下さい」とお願いしてもなかなかお金はくれないそうです。
たった1円を渡されることもあるそうです。そんなときも怒ることはできないので、
「ありがとうございます」 と礼を言って去るのだそうです。
「じゃあ、これらもずっと四国を回り続けるんですか?」 と聞くと、
「九州にあるお寺でなあ、今度通夜堂(養老院ののようなものらしい)建てるってことでな、
出来たらそこへ入るかってことを仲間と3人で話しあってるんだ。通夜堂が出来たら都築さんとこに
連絡が来るようになってるんだけどな。 でも、もうこの歳で新しいとこに行って暮らすのも気兼ねだしなあ、考えてるとこだ」 とのことでした。
歩いてると、いろんなところから救いの手が伸びて来るようです。
今夜は、今朝ぼくが泊まった道の駅に寝る予定だそうです。
「あそこには夜でも管理人さんいるから、ちゃんと断らなきゃダメだぞ」
「すいません、ぼく勝手に泊まっちゃいました」
寝る場所の確保は命懸けですから、その辺托鉢遍路さんはけっこう気を遣ってるようです。
別れ際、 「おばあは、金もってねえんだ。100円でもいいで恵んでくれや」
と言われたので、 100円渡しました。
(おむすびももらったんだし、お話も聞かせてもらったんだから、もっとあげるべきだったな、
俺って基本的にケチなんだな) と、後になって反省しました。
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この外に 多くの人との会話がありますが お婆さんに触れた箇所が一箇所あります
11月6日 :(最初にお婆さんにあった日から 4日後 別の歩き遍路の男性との会話です
再会する前の時点です)
27番神峯寺(こうのみねじ)へは、25kmほどの道程です。国道55号から逸れて細い遍路道に
入って行ったら、昨日金剛頂寺の手前で会った年季の入ったお遍路さんに再会し、同道になりました。
彼は広島出身のMさん(56歳)で、もう10年以上歩き遍路を続けている半職業遍路でした。
僕が先日あったおばあさん遍路の話をすると、
「ああ、あの人のことならよく知ってるよ。お金の無心はされなかったかい?」
「いいえ、逆におむすびをもらいました」
「へえ、あのおばあさん、そんなこともするのか」
彼の話すところによれば、あのおばあさんも年季の入った職業遍路の一人で、別に信心で遍路している
わけではないそうです。
「あの歳になっても、家族が面倒見ようとしないってことだから、あの人も深い事情があるって
ことだよね」 亡き夫を偲んで逆打ちしてるのかと想像してた僕としては、少しがっかりなような。
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色んな話が出てきますが 永年「お四国さん」に居る人が語る 「お遍路」の変化です
『「10年も遍路やってると、遍路する人の変化から社会の世相が見えてくるってことはありますか」と
僕が聞くと、
「あるよ。特に最近は遍路ブームだからね、遍路する人が増えたよ。春なんかは遍路の季節だからね、
歩き遍路がうじゃうじゃいて、宿はどこも満杯さ。 ぼくが歩き始めたころなんて、バスで巡る団体は
いたけど、歩き遍路はほとんどいなかった。一周する間に2〜3人、会うか会わないかくらいだった
からね。白装束着て歩くのが恥ずかしかったよ。 今は若い子で歩いてるのも多いけど、中年男で野宿の歩き遍路してて、暗い目をしてる奴は要注意だよ。借金とかリストラとかで、自殺の場所を探しに来てるのも多いから。年に数回だけど、お堂で首吊ったりとか、あるよ」
Mさんの話は続きます。
「じゃあ、今の歩き遍路で、本当の信仰心で歩いてる人ってのはいないんですかね」
とぼくが聞くと、彼はきっぱりいいました。
「いないね。遍路は修行だって言うけど、これだけ道が整備されちゃ修行にもならない。
本当に修行するんだったら高野山の山の中とかでやらなきゃ。
坊主の格好して、『お大師様がどうとか』ってもっともらしいこと言って門前で托鉢してる坊主風の
奴がいたら、逆にうさんくさいね。そういう奴に限って、お布施が集まったら夜の店行って酒ばかり
飲んでるんだよ。 ぼくだって社会からドロップアウトした側の人間だけどね。まだ托鉢はせずに済んでるけど、四国を離れては生きてけない。
遍路って大義名分があるから、堂々と野宿もできるしお接待も受けられるんだ」
僕が、「ぼくも、今まで何回かお接待を受けると癖になりそうで恐いんですよ」 と言うと、
「特に若い子はお接待を受けやすいからね。女の子なんて、100円のパンを買いに個人商店に入ったら、
カマボコだのチクワだの、食べ切れないほどもらってくることもあるから。お接待してくれるのは
おばあさんが多いし、そうした人にしてみれば、歳を食った男よりも若い子の方が孫みたいで可愛いし、何より安心できるからね。 そうなると遍路する子の方も自然と知恵がついて、わざわざ個人商店で
カップラーメン買って 『お湯下さい』って言って、 『いいよお接待するよ』とタダにしてもらうのを
期待したり、夜になると家々を回って 『野宿できる場所はありませんか』って聞いて回って、
『泊めてあげるよ』って家に当たるのを狙ったりね。 人の親切をあてにしてずるくなる自分に途中で
気づいて『やばいな』と思える人はいいけど、気づかないまま抜けられなくなる人も、少数だけど、
いるよ。 一度親切にしてもらった家に、二度行くようになったらおしまいだね。親切をあてにして、
物乞いに行くのと同じだから。って、ぼくは若い人に言ってるんだけど」
Mさんの話振りはかなり筋が通っていて、年季の入ったその風体とあいまって、その語りは恐ろしく
説得力があるのです。
「八十八ヶ所なんて、弘法大師よりも後の誰かが作って流行らせたんだろうけど、たいしたもんだよ。
今じゃ札所の寺はほっといたって客が来るからね。黙ってても旅行会社の方から宣伝させてくれって
頼みに来るんだから。寺の坊主の方も調子に乗って、寺の仏像なんかを借金のカタに入れて、
女囲って豪遊した奴とかいるしね。」
「…まあ、修行とかそういうのはともかく、旅のかたちとしては、遍路はいいですよ。歩くと体にも
いいし、頭がすっきりするしね。遍路に限らず、初めての道を歩くってのはいいね。だからぼくは、
四国を回るにしても、なるべく通ったことのない道を通るように心掛けてるんですよ。
じっとしてると、淀みにはまって精神に良くないよ」
お接待の虜になり、四国遍路の輪から出られなくなってしまった人にとっては、四国自体が大きな
「淀み」なのかもしれません。
そして、Mさんは鉛筆画を描いているということで見せてくれました。彼の画風は二通りで、
ちょっと少女マンガっぽい観音様や猫の絵(顔に似合わない)と、頭を空っぽにして紙の上を
塗りつぶしていき、なりゆきに身をまかせるという、抽象画っぽい絵の2種類です。
後者の絵は、ほとんどが真っ黒だったので、最初、何かカーボン紙がわりに使うために塗りつぶしたものだろうと思ってしまいました。
「何かを描こうと思って描いてるわけじゃなくて、見る人がどうとでも想像してくれればいいんですけどね」 と彼は言っていました。
(個人的には、そういうことを言って抽象的なものを作る芸術家のことを、ぼくはよく理解できません。Mさんの場合はプロではないし、ぼくが見せて下さいと頼んで見せてくれたものだからいいのですが、
プロの芸術家の、なんだか良く分からない作品を見せられて、
「それが何を表現しているかは、見る人それぞれが感じてくれればいい」 というような作者のコメントがついていると、「そんな無責任なものを芸術と称して他人に押し付けるなよ」
と言いたくなるのですが。)
どちらも一定程度描きたまったら、ある人のところに送っているのだそうです。
どうやらその人が、彼に生活費を仕送りしているようでした。
彼との話は尽きず、
「非常食にはピーナツが一番経済的だ」みたいな話まで聞きました。 お昼過ぎに彼は
「じゃあここでぼくはゆっくりしてくから」ということだったので、 「握手させてください」
と握手してもらって、別れました。
いやあ、四国っていろんな人がいるもんだなあと、彼と別れてからもぼくは歩きながらずいぶんの間
にやにやしてしまいました。
Mさんとゆっくり話をしていたお陰で、27番の神峯寺への山道を、大急ぎで登るはめになりました。
神峯寺は海を見下ろす山の上にあり、土佐で一番の難所とのこと。痛くなる横っ腹を抱え、遥か上に
見える建物を睨みながら汗だくで登りました。幸い体力も温存していたので4時50分に納経所に
滑り込みました。
なぜかここの寺はサービスが良く、歩いて来た人にはコーヒーとビスケットが出され、
「野宿の方は泊まってっていいですよ」 と宿泊所にも入れてくれました。
「ラーメンくらいなら作りますよ」 「あ、ありがとうございます」
インスタントラーメンが出て来るのかなと思って待っていると、チャーハンを作ってもって来てくれ、
感激しました。
お茶とみかんとバナナと昆布の佃煮もついていました。ありがたいかぎりです。
でも、こういうお接待を期待するようになってしまうと、危ないんですよねえ。常にお接待に感激
できるような、謙虚な心構えでこれからも歩き続けなければ、
「四国の輪」の中から抜けられなくなるのかも…。
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以上 永い間お付き合い戴きまして有難う御座います
なお この遍路日記全編を読みたいと思われる方は http://www8.ocn.ne.jp/~aimai/wandering/html をご覧下さい
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北九州市 八幡西区
宮本 正
093−612−5246
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