『お遍路 旅日記』

           「走って お遍路 八十八」 H九年 (第六回目)

          H9・4・30〜5・6    30番・善楽寺から36番青龍寺まで

 

1日目(五月一日)

   フェリーで 松山観光港上陸 松山駅前から JR特急バスで高知へ(三時間十二分)

   昨年 30番・善楽寺の手前でストップした場所までバスで移動し 今年のスタート 単独行

 

・狭霧 割(ワ)け 椎の若葉の 湧き上り (久万高原)

     *松山駅7時発 JRバスで移動中 久万高原を過ぎる 午前8時前なので 霧が出ていた

       陽が当たり始めて山容が見え始める  四国は雑木(照葉樹)が多く

       シダジイ等 黄土色の新芽が モクモクと湧き上るが如くに

・「where the 30番?」 「Go ahead」で 通じ       (30番から 1km)

     *「Go ahead one kilometer,then on the left hand beside this road

        you will find big shrine gate,turnto the left at that point.

         You‘ll find 30番 temple easily.」

     *30番・善楽寺を1km位過ぎたところで 自転車に乗った 青い目の少女

       菅笠で解ったのか場所を尋ねられた

        「Arroundthe 四国 island,there are 88 temples」なんて言ったら

       解っていた

 

2日目(五月二日)

    7 夜行バスでやって来た他のメンバー達と高知駅で合流

    当日は 龍河洞、高知城 見物の一日

 

・お年頃 「糖尿・ヤーコン」群がれり

     *「市」を観に行く  漢方の植物を売っていた  5・6人が試食したり 買い求めたり

       鯵の炒り子を 300g 求む  600円也

・盗み酒  口封じ重ねて 半ダース   (JR保養所 土佐荘 ;高知城 搦め手門 口)

     *山チャンが 到着早々 ビールを捜し出して来る  周崎さん と3人で飲む

       「そんなの どこにあった?」と部屋を覗き込んだ面々  「まあ いいから…」と口封じ

       その後も 顔を出す メンバー  その度に ビール調達

 

      

 

                                  

      山チャンが 後で言うには 厨房があって そこの冷蔵庫にあったと

      「アレ〜ッ」と 宿の人に言われる前に自首しようと 帳場に

      「どこにありました??」と支配人

・さてはこそ 身構えみたるが 程でもなし 名物になんとやら ドロメかな

     *夕食に出る  TVで観たことが有り 風物詩でも あると期待したが差ほどの事でもなし

       矢張り ニンニクたっぷりの鰹のタタキが BEST!!

 

三日目(五月三日)

    本日から 歩き  22km 短距離なので気楽  晴天 小雨

 

・ナンジャモンジャ コンナモンジャ           (牧野 植物園)

     *31番・竹林寺のある五台山 に在り    今回 一番期待した

       「ヒトツバ タゴ」  ナンジャモンジャは俗称だが白い花の盛りで 奇麗だった

・薫風に うなずきおりて スエコザサ            (同 上)

     *牧野富太郎が 妻の名を冠した 笹が一隅に在り

・花々と 牧野像 見守る スエコザサ            (同 上)

     *園のほぼ中央に富太郎氏の像   片手に テング茸を持っている

       その視線の先に スエコ笹があった

・車座に コンビニの飯 囲む 遍路人            (武市 半平太 生家の手前)

     *32番・禅師峰寺への途中で昼食  食堂がなく 買い出し部隊はコンビニへ

       小さな橋の上に座り込む  車の往来も少なく 青空が広がる

・草亀も 頭(コウベ)もたげる橋上の宴         (同 上)

     *鯵の南蛮漬けが好評だった  河川に 鯉と亀が多いのが目に付いた 高知市内も

・我が性か 尻から見上げる 龍馬像            (桂 浜)

     *桂浜で  正面も良いが 背面に在る事が多い 趣意書 等を読むのも面白いもの

      「昭和三年 高知青年有志 建立」とあった

      斜めから モノを観る(ハスに構える)性格

・高鼾 独人で占拠す 雑魚寝宿                (国民宿舎  桂浜荘)

     *男女 別々の広間で寝る  隣りの新チャンが 皆が吃驚するほどの 鼾だったらしい

       常連の三人組みも寝られなかったとか

       今迄の 俺達は冤罪だったのだ  と翌朝

       全然 気が付かず

 

 

 

                                

 四日目(五月四日)

    33番から36番迄42km   本日は晴天    万歩計  46,298歩

 

・軽トラで 早苗 運び行く 老夫婦              (33番 雪蹊寺を過ぎて)

     *田植えが進んでいた  若手が減って来ているのか…  但し 現代風

・遍路杖  疲れた様にて 引きずられ           (34番 種間寺 近くにて)

     *30代とおぼしき若い夫婦  男性の方は かなりのリュックだが しっかりしている

       遅れて 奥さんは…    杖を 引きずっていた

       その後 35番 清滝寺 近くですれ違いに  文旦を上げたり 近いよ と言ったり

・涼しげな 水音 頻り 気が安む  正体 養鰻場で また汗が  (仁淀 近くで)

     *ザア〜ザア〜 の水音  近づいてみると ビニールハウスの 養鰻場の中から

・「How far ?」 汗を拭いつ  異人さん        (35番 清滝寺  麓)

     *本格的な サイクリング姿の 青い目の少女

       モーターサイクリストも多いが(年間10万人とか) サイクリストも 結構 走っている

       この女性には 当日 最後の 36番 青龍寺 でもすれ違った

       「ハーイ!!  こちらも 大分くたばっていたが

 

     *35番・清滝寺を下って国道56号線に出たところで各人 弁当を購入  そこから少し

       下って ガレージで昼食  小生は遅れそうなので 納経帖を 先行メンバーに 託す

・畦道を 歩み寄りたる 老農夫  いづこの人ぞと 問いかけつ   (野 尻)

     *本日の 最後は 36番 青龍寺  納経所は 午後五時に閉まる

       走って行く  (峠で 最後のグループに 追いついたが)

       遅れて歩いていると「あんたら 四国と 違うろ〜」

       立ち戻って会話  言葉が違うので どこの人かと 思っていたと

         先を 行った面々 大声で ワイワイやっていたのだろう

・木洩れ陽に 苔むす石畳 青青と 峠越え行く 遍路みち       (塚地 峠)

     *今回 唯一の 山越え (約 6km)   下では トンネル工事中

       永い間 お遍路みち として使われて来たのだろう  山中も 石畳になっており

       これを 作った先人の気持ちが有り難いその信仰心も

         トンネルが開通して 荒れるのは 何とも 寂しい気がする

       お遍路 10万人/年 と言うが 「歩き 遍路」は 1000人程度と

       廻れば良い と言うものでもないと思うが(それだけが 目的ではないはず)

・お接待の 「小夏」片手に 思案する 食せば 好意も 失せてしまうか  (塚地 下)

     *下から 上がって来た主婦が土地の名産 小夏柑を 「どうぞ」と

       食べるのが 勿体無く 暫く持って歩く

                                 

・白波を 蹴立てつ 勇む 鰹船                 (宇佐大橋)

     *入り海(横浪三里;浦ノ内湾)になっている湾口にかかる アーチ橋

       橋の上から見ていると高速の漁船が 三々伍々 帰港して来る

       海も澄んでいて しばし 見とれる   風も心地よし

 

       結局 青龍寺には 午後五時五分 頃に到着

         *青龍寺〜中国・西安で大師が修行された寺にちなんだ お寺    

           森・ママから 留学生の案内で 同所を訪れたからとお土産に

           般若心経が書いてある 冊子を貰っていた

            森・ママは 同じ物に 納経の朱印を貰おうと持参したが  紛失したと

          残念がっていた    小生は 持参していなかったが気の毒であった

 

五日目(五月五日・立夏)

   午前中 21km先の 土讃線・多ノ郷 駅を目指す  本日も晴天  28,253歩

 

・道々の 天道植え(てんとばえ)なる  枇杷・巴旦杏  勝手・接待  渇いやし    (黒潮ライン)

     *新しい遍路道になっている「黒潮ライン」(太平洋岸の観光ドライブウェー)を歩く

       車・バイクが通るのみ  歩いている人はいない

       景色は佳   黄・木苺も多い  赤よりも甘味は強い

       枇杷は 長崎・茂木よりも早く出荷される土地柄  結構 イケタ

・隧道の 涼しさ過ぎて 春の蝉                   (鳥坂 トンネル)

     *7月上旬の気温と言う予報の通り暑い  30度近い  「トンネルの中は 涼しいよ!」

       しかし 抜けると いかにも暑そうで 物憂げな 春蝉

       鳥坂トンネルからは下り  大阪セメントの工場を過ぎると駅も近い

・早口と お国訛りに 身許割れ                   (高知駅 近く・公衆浴場・300円也)

     *多ノ郷から 720円の運賃で 高知に引き返す

       「三日 歩いて たったの 720円」  vs  「720円で 三日も遊べた」

 

       公衆浴場へ  湯船には 菖蒲の束が浮いていた

       風呂から上がってワイワイ・ガヤガヤ・ワイワイ…・  土地のオジサンが

      「何処から?」 「私も 二度廻った  元々は愛媛だが 今は 高知に住んでいてね…」

      「博多でなくて 北九州ね」

 

      「そいがくさ…」等と大声でやるから 直ぐバレル

 

                                    

『番外』

・大浴場 又借り石鹸 返さばと いつしか 備品を 持ち帰りおり    (桂浜 荘)

     *馬場さんから 受取った石鹸を使って周崎さんに 「又貸しだけど」と渡す

       それが 清水さんにわたり 更に 山チャンに

       清水さんは 匂いが良かったので小生が持って来たものと勘違い

         山チャンから 他の人に渡ったのを見て「山チャン それは 宮本さんのよ!」と

       湯船の中から 言ったらしい   山チャンは それを聞いて「お客さん それは私物です」と

       取り上げたら その人は「御免なさい」と謝ったとか

       山チャン 最後になって タオルに巻いて 持ち帰り

 

       先に帰っていた 小生に 「宮本さん 石鹸有り難う」  「えっ!! それ違うよ」から

      「それ 何よ?」となり  追跡調査の結果 判明

・50の免許取り  56のビール                   (国民宿舎 土佐荘)

    *靖子が 皆に囃され ビールを飲む  美味しい!! と三杯

      コップに 1/5も 飲めなかったのに   酒も口にしていた

        「老いらくの 恋は 狂う」 とされるが 「老いらくの ビールは 大丈夫?」

 

      聞いていた「酔鯨」の蔵元もあった飲んでみたが 今一つ 

      土佐荘では 地酒と言う事で 土佐市の 「亀泉万寿」を飲んでみたが これも イマイチ

         矢張り 土佐鶴が いいね と仲上さんとも一致

          (八幡宮の 別役の義母は 「土佐鶴は 甘いきに・・」と 言っていたが)

 

      帰途 八幡宮に寄る  「お酒なら あるよ」  と土佐鶴三本

      「欲と 一緒に 2人連れ」である  反省会用!!

・四万十の 鮎の塩焼き 先達さん                  (多ノ郷からの 列車々中)

     *来年は 土佐中村までか?   足摺岬までには 日数不足?

       鼻の先に 人参がいる   塩焼きの提案に 「いいね〜」の賛意

       女性は 「トロッコ列車は どう?」 乗って来るだろうか?

 

                                  

「植生 他」

・照葉樹が多く (石灰岩が多い 地質から来るのだろうが植林が少ない) 其の為に

山全体が 新芽で黄土色に 染まっているのは 北九州では見られない風景

・栴檀が各所にある 街路樹にも 採用されていた

 庭木には 姥目樫 が多い

                                  

・鷺が多い アマ鷺・青鷺が目立った高知市内では 川辺に 青鷺が四羽 まとまって

 大体は 単独行動を 好むのに

 その 割には 白鷺(大・中・小)が今回は 余り見えず

・椋鳥 を多く見かけた  鶯は 多く 直ぐ横で 囀り始めて 驚く くらいに

 

・白タンポポもアチラコチラにあった   高知城の一角に 小さな梅林が在り その下は

 全て 白タンポポ   意図したのか否かは尋ねる人が居なくて解らなかったが