『お遍路 旅日記』
「走ってお遍路八十八」H五年(第二回目)
― 93・5・2 〜 5・5 ―
(昨年の第一回で吉野川沿いの11番・藤井寺まで終ったので 今年は 山道に入る
12番・焼山寺は半日かかり 今迄 平野だったものが山道になることもあって最初の
難路とされている *12番焼山寺・20番鶴林寺・21番太龍寺・27番神峯寺
60番横峯寺・66番雲辺寺が「遍路ころがし」といわれる難路
その後山を下り 剣山から流れてきている鮎喰川がある 南の谷に沿って 徳島方面に
引き返す ルートになる 今回の最後は 吉野川の南
17番・井戸寺まで
その後 少し南に行った処にあるJR徳島本線・鮎喰(あくい)駅迄行き
JRを乗り継いで岡山から新幹線で帰るという 行程
「歩き」は 一日半 強で 合計
60km 但し 18kmは「遍路ころがし」の
難路
5月4日・・7時半に 宿を出て 藤井寺 経由
焼山寺迄 登りの山道20km
そこから 下って 民宿迄 14km
計34km
5日・・朝7時出立
山を抜けて 15km先の 13番・大日寺
近在の 17番・井戸寺迄行き 近くの JR・鮎喰駅迄 計26km
が 15.47発の列車に乗るので14時には 各自「打ち切り」 として
東九フェリーで 徳島港に上がった初日は中途半端になるので観光にしようと
阿波町の「土柱」を観に行く 社会科で習った 記憶あり
穴吹駅下車 バスもあるが歩く事にする 駅近くの店で売っていたブドウ饅頭が美味
「土柱」はかなり崩壊していて 「単なる 崖崩れ だね」 吉野川は 「構造線」に
沿っているから その活動から 出来た景観なのだろう )
一日目 (藤井寺の近くにある宿に泊って明日からの 歩き に備える)
・アンダーシャツ ブリーフはためく 遍路宿
(藤井寺 近くの ふじや旅館)
*風呂に入ったついでに洗濯 着替えは 持っていたが 暑くなりそうな天候だったし
翌々日用に 備えて
外に干して 散歩をして帰ったら男性陣 全員がいたが
「あれは 宮本さんのもの
とは 違うだろうね 皆 違うというので アンタしかないという事になったけどまさか
あんな事を するはずがない と 言っとんたんよ」
風が出ていた
*宿で 「先達さんは どなたで?」と聞かれ キョトン 「幹事 の事よ」 と通訳
「ビールを20本」とやって「本当に お遍路さん?」とされる
「そんなに無いので近くから 借りてきますから 待って下さい」
( 1 )
二日目(焼山寺 に登って 向こうに下る
川沿いに歩いて 民宿「明日香」まで)
・振り向けば 藤をまといて 吉野川
(焼山寺 までの道)
(旧; 見下ろせば 藤・桐・青葉に 吉野川)
*11番・藤井寺から標高750mの12番・焼山寺迄は 健脚で五時間の山道
初めの 一時間半位は 吉野川が 見え隠れ
していた
四国は 藤が多かった 花はどこも よく咲いていた
中途の 柳水庵には 若い修行僧が泊り込んでいて水墨で描いた 仏画を
戴く
その先の 一本杉庵 では 冷えた缶ジュースを
売っていた
休憩中に オオルリ鳥が 直ぐ近くで 姿を見せて 囀っていた
・遍路道 TAXI追い抜き 歩を速む
(焼山寺 下り)
*焼山寺からの 下り道 歩いている人は 少数 殆どが 自家用車 又は TAXI利用
コンクリート道は嫌らしいが これしかない 暑い日で 早く抜けたいもあって
脇を TAXIが通り抜けるとこっちも自然と スピードが上がる
早い面々は 駆け下りていったが その後を 下っていると
自家用車が 脱輪して
初老の二組の夫婦が難儀していた 行き合わせたのも何かの縁
大きな材木を見つけて引っ張って来る者、前後に走って 離合車に合図する者、
車体の下を覗き込んで引き揚げる算段をする者「先ず ジャッキで… 」
終って 下っていたら 先達のX氏が
「お礼にと 言って 一万円 貰ったよ」の報告
・静けさの 耳鳴りの中 河鹿なく
(焼山寺 下り)
*山中の下り坂 横を流れる小川で 河鹿が鳴いていた 今年 初めての河鹿
下りきった処 寄井北橋に 小さなスーパーがあり 先程 戴いた「謝礼」の一部を
アイスクリーム、西瓜等に交換 皆 元気になる
陽が傾き始めた道を歩く 宿で 先行して走って行った面々が顛末を聞いてくやしがる
*民宿では 近くの温泉センターに行く 路傍で 「エノハ」の塩焼きを売っていた
「エノハ」は ヤマメのことで 九州では 大分が
同じ呼び方をする
夕食では 酒も入って 亭主・若夫婦を巻き込んで 大笑い・大騒ぎになった
が 部屋に引き揚げてから 俄然 一大論争
発生
『お寺さんでは 般若心経 位あげるべきではないか
他の お遍路さんも居るのに 着いたら 直ぐ次に行こうとするのも
不信心』
『お遍路は ジョギングのルートとして選んだもので それは関係ない
むしろ ジョギングをしない方が問題』
「まだ 廻り始めて 二年目 そんなに早く結論を出さなくてもよいのでは
自分の生き方を 他人に要求しても 解決しないだろう
先は長い その内に 心境も 変化すると思う もう暫く 時間をかけては 」 とした
( 2 )
三日目 ( 山道を含んで 30kmの 道のり 7時に 出立 今日も 暑くなりそう
)
・おはよう
の 登校の子等に
山 笑う
( 鬼籠野=おろの )
* 小さな山中の 盆地を抜ける頃
自転車に乗った 小学生 4〜5人に会ったが 先方から
全員明るい顔で
「おはよう 御座いま〜す」
(「山 笑う」は 樹々の新緑の様を指す 春の季語)
・隧道を 出でて 溶け行く
青山に
(桜坂 トンネル)
(旧; トンネルを 抜け出で
ランナー 青山へ )
*2/3位来たところで峠に 桜坂トンネル
人・車なし
他のメンバーは 駆け出して 行ってしまった
トンネルの入り口も新緑で まるで海の底に いるようだったが
入口に立つと 出口の 先にも
新緑が 小さな円形で
・同行二人 隧道に こだます 遍路杖
(桜坂 トンネルを 抜けて)
*前々夜 藤井寺の宿の夕食時 札幌のOL(35才 位)が
翌日の 焼山寺 登りを
同行させて欲しいとなり 皆と一緒に歩いた
正規の 遍路姿をしていて 一番から 歩き始めて三日目とかで
遅れ気味であったが
皆のワイワイにつられて登った
焼山寺を 下る中途で 宿をとっているからと別れたが涙声での お礼
彼女が泊った宿は焼山寺下山の中途だったが 翌朝は 可成 早立ちをしたようで
桜坂トンネルを通った下りで 追いついた
それぞれが 暫く一緒に歩いて 話をしてから 駆け出して行く
徳島の近辺の お寺さんを廻ってから帰る としていたが…
『追』
その後 一ヶ月以上かけて すべてまわって帰ったが 足摺岬(金剛福寺)からの
一部分を 車に乗せてもらったので来年 その場所を 歩きなおす との便りが
先達さんに届く
愉快な人達に出会い人生の在り方を 一つ学んだ と言ったような事が書いてあった
・畦道を 苺 持て行く 遍路笠
(13番・大日寺 手前)
(旧; お遍路の 笠に 苺を 山と受け )
*30kmの 最後の3kmの地点で走っているメンバーの最後尾に 追いつく
畑の中の ハウスの近辺に 4〜5人
苺を農家の人に頼んで 頒けて貰っていた
(昨年は 路傍で 売っていた物を 買って皆で食した)
容れ物が無い と言う事で 遍路の菅笠を外して これに
入れる 1,000円 也
大日寺まで 運んで 全員揃ったところで 山分け 甘かった!!
( 3 )
『俳句(?)集』
*この年から 反省会に
俳句を持ち寄り 選評をしようという事になる
・春の日に 遍路(みち)に登りて 六十路かな
・大師堂 しょうじょうばかまも 迎えけり
・道しるべ 目に付く程に 安堵かな
・さえずりに 友の口笛 唱和する
・あら不思議 飲みたい時に 泉わく
・信仰の 道も険しい 焼山寺
・大師堂 荒行 つみつつ 近づけり
・すずなりに 花咲き匂い しかばねの道
・遍路みち 指の向こうに 大師水(みず)
・遍路みち ひときわ冴える 杉並木
・遍路みち あなたはどこえ 行ったやら
・こもれ陽に たどる山道 大師道
・行者道 青葉 若葉に
汗しみる
・遍路みち さえずりと 笑い まじり合い
・ほととぎす 四国訛りの 声聞かせ
・少休の 巡礼迎えて ヒヨ 一声
「番 外」
・アンダーシャツ
ブリーフ はためく 遍路宿
(ジェントルマン 宮本)
・飲んで食って 寝て起きた 遍路宿
(馬場 仙人)
・阿呆坂(あほさか)を 走って登る 阿呆仲間
(プリティ 森)
・おへんろさん ブスも美人も 皆おなじ
(遍路のドン 周崎)
・遍路みち ブスも美人に みえにけり
・老いの身で 追いつ まろびつ 遍路みち
(植物先生 久保)
・飲み物は 冷やしてあります 玄関に
(ミスター X)
( 4 )
「番番外」
・波高き 航路に 指令
座乗せず
(川畑 長官)
*今年は 都合があって 海軍さんの 川畑パパ
参加見送り
・文化びと 一人描けても 物たりず (清水 画伯)
*絵・版画 特に デザイン力に 強い 清水さん
・ふくよかな 山藤仰ぎ 君想う
(安部の 姫)
*人付き合いが 苦にならぬと 言うよりも 楽しんでいる カラオケ上手の
安部さん
了
( 5 )