『お遍路 旅日記』

 

                「走って お遍路 八十八」H四年(初回)

                        ―92・5・21 5・24―

  ・「八幡西 ジョギングクラブ」は当時60人位の会員がいて各地の ジョギング大会に

   出かけていた  高千穂、天草、瀬の本、飯田高原、福岡シティー、芦屋、志賀の島、山鹿、

   菜の花…遠くは 青梅、ホノルル

  (お花見、ハイキング、ホームグラウンドの畑 貯水池 周回マラソン

                       &清掃作業、夏休みの子供ジョギング指導・・等もやっていた)

  ・そうした時 何か目標を置いてジョギングを続けるというのはどうだろうか?

   意見が出て 「例えば 四国八十八ヶ所」    一斉に 「面白そう やろう!!

   アイディアマン揃いであり  名称は 「走って お遍路 八十八」に 

   最初はゼッケンとして デザインした物を  Tシャツにしたり・・

   和田パパは JRの運転手さん  切符の手配も楽だし 少額乍ら バックマージンもあり

  ・何処から始めてもよいのだが どうせ一周するのだから一番・霊山寺から

   中途で ダウンする人も出ようがその時 「一番」は知らない  では寂しいし

     *正式には 高野山・奥の院の お大師さんに 参ってからになっている

       翌年 高野山 に行って 人数分の 納経をし 皆に渡した

  ・男性 10人  女性 6人  計16人 参加

*話によれば 年間・10万人のお四国参り   「歩き」は 約千人;十人/日;女性が六割 

*今年は 一番から始めて 吉野川沿いのお寺さんを周り山道にかかる手前の

  11番・藤井寺 まで歩く事にする

    ・小倉から 松山までフェリーで渡る翌朝5時着  JR・松山→高松→高徳線・池谷

    ・22日 ここから スタート 当日は 昼からの歩きなので5番・地蔵寺 まで 16km

        更に2km先の 岡の上に 民宿 「ぎおん荘」

    ・23日は 一日かけて 11番・藤井寺 31km   

        そこから3km先JR・鴨島駅 近く 「ふくすけ旅館」

    ・24日は 鳴門大橋を 見物した後 高松・岡山経由で 新幹線で帰る   行程

 

一日目(JR池谷駅 下車  五番・地蔵寺迄  岡の上の 民宿「ぎおん荘」     晴天

・鳴門への分岐点・池谷駅で降りて 腹ごしらえ  生憎 大きな店は無い 見つけた 食堂に殺到

 店に入りきれない  道路まで 座り込んで 食事  調理時間節約の為 統一メニューは

「うどん 又は カツどん」  顔見知りなのだろう TAXIの運チャンも 急遽 助っ人になって手伝い 

わかめうどん は品切れ カツどんは 余ってしまい  「安くしますからどなたか?」の事態に

 冷たい水を飲みたいと コップを容器の蛇口の下に;コックをひねって 出てきたのは「ビール!!

                                 

・霊山寺に向かって歩く  坂東町 ここには 第一次大戦の際 ドイツ兵の捕虜収容所が

設けられたところ  彼等との交流から西洋の文物が 庶民層に普及した事でも知られている

 霊山寺  一番と言う事もあって 遍路装束を 商っていたり   老々男女の人出も多い 

皆に 納経帖を求めるようにとする  スタンプ帖 感覚の人物も居たりして

・此処から 大きなお寺さんが続く  経済的なバックがないと 出来ぬ事

蓮根畑が 多い事から 「大阪」への 疎菜 供給も考えたが それでは小さい

 古くは「麻」の 生産地であり 近世は 「藍」の生産地 であった事からと 推定

いずれにしても 温暖な 地域性を活かした産業が豊かな地域を形成したか   「恒産恒心」

・4番・大日寺での事件

般若心経を上げる Y氏  寺に着いて 納経所に行き お参りをして来るのでその間に

朱印を  としたところ お参りした後にするもの!! で「そもそも 最近の若い人は… 天皇様は・・」

こってり説教されたとか     本堂→大師堂→納経所がスジ

    *大日寺は  谷あいの奥にあり 佇まいもひっそりしているし 納経帖も 昔ながらの

      木版を使って 記帳してくれる  趣のある お寺さんだった

・地蔵寺で 今日は終りなのに阿部さん・森パパは勢い余って次の寺まで行って気が付いて

 引き返し  元気あり&方向音痴でもある PAIR

岡の上の民宿から 見下ろしていると来た方向と 逆から5〜6人 畑の畦道を突っ切っている  方向音痴が また一組    自信家も多いから余計に    その後も続いた事態

 

二日目(一日 歩き; 晴れ 時々曇り しかし 午後後半には  夕立 

・8番・熊谷寺を 下ったところで 菅笠を求める  これは 重宝することになる

・次の 法輪寺は 畑の中にある   菜の花が咲いていた   畑中の路傍に  小さな墓石

 行き倒れた 遍路人 だろうか

 のどかな 風景であるだけに 余計に 切ない想いをつのらせる

・切幡寺は 山に入り込んだ処にある  石段が長い  厄ばらい の霊験があるとかで

 厄ばらい坂 の石段 一段毎に 硬貨が数多く 置いてあった

・11番・藤井寺は 吉野川をはさんで反対側の山裾になる

 途中 夕立になるが  菅笠が防いでくれる   むしろ パラパラという音が 妙に心地よい 

昔の 唐傘の音 だから だろうか     陽が照ると 風通しがよいので涼しい  重宝 

・吉野川は 畑中を歩き 葦が生えている処を抜け小さいが長い潜水橋で渡った  

 水は澄んでいて 鯉が泳いでいるのが見える  夕立が上がって虹  印象深い 景色

  橋を 渡ったところに 川船が 揚げてあった

一緒に 歩いたメンバーも  「あの風景を もう一度」と  今でも 話す 

その後暫く  大きな川に出くわすたびに  「アッ!  吉野川だよね」 と言う 御仁も

 

                                 

・藤井寺には  夕方着く   それから3km 若干 東へ 引き返し気味に 宿へ

 中途で 夕立が来る  しばし 民家のガレージで雨宿り  小振りになったところで 出発

 二万五千の地図で 見当をつけて 先導する   午後五時までに集合となっていたが 遅れる

  足の早い Y氏は近くの焼き鳥屋にしけこんで待っていたと  「なあ〜ん  しよったんね」

・宿で 先ずビール20本  これに 宿の人が 「20 本ですか?」  これも あっという間に

 無くなる   追加のビールに お酒を15本で また 驚く  四国は お酒を好む と聞いたが ・・

先達さんに 地酒を と頼んだら 宿には置いてないとの返事

町並みに入ったところに 酒屋さんがあり 地酒の カンバンが出ていたから として 調達を依頼

ところが 買ってきたのが 四合壜   アットいう間に無くなり  再度  調達班を派遣

長老の 川畑パパが 海軍時代に やっていたという  海軍式敬礼を  皆に伝授

軍歌も 飛び出し  大騒ぎ         「お遍路」は リュックの中に仕舞い込んでしまう

 

三日目(JRで 鳴門迄行き そこからバスで 鳴門大橋を 観に行く  その後引き返して

       一路 黒崎 目指して帰途に

・旅館は 9時過ぎに出ればよいのでゆっくりする

 朝食前に 近くの 吉野川に懸る 橋まで行き  スケッチをする

・雨上がりの晴天で 鳴門大橋も  潮の流れも  淡路島も  美しい物だった 

 当然の事ながら  さざえの壷焼き&ビール ということになる

 

*阿波の国は 「発心の道場」とされる

たった 一日半で 十一ヶ所のお寺さんを廻れる  ハイキング気分である

発心(その気になる) と言う事では 「舞台」として大変良く出来ている

 これで 「気分がよい」「面白い」の 初印象・ノリで 「続く」ことになりそう