『お遍路
旅日記』
「走って
お遍路 八十八」 H10年(第七回目)
− ‘98・4・29〜 5・6 −
*今年は 土讃線 多ノ郷 駅から始めて
37番・岩本寺、38番・金剛福寺(足摺岬)、
39番・延光寺 迄 現地で4泊5日の合計 206km 長丁場になる
1日目(周崎さん の車で 小倉→松山 フェリー
経由 久万高原を経て 須崎市・多ノ郷 駅へ。
夜行バス・高知→多ノ郷組よりも早く着く。午前 9時前に 岩本寺へスタート。
小雨模様 39,599歩 34km)
・視野過ぎる
黒き雨雲 足早め 旅の前途の 暗示なるらん
*久万高原に上がると一挙に雨雲が出て太平洋側の天候の悪さを想わせた
案の定 5日間 の内 3日間が 雨模様となった
・お接待の
老婆と 路に 座り込み
*「添 蚯蚓(そえみみず)」なる遍路路があるとの 案内板をみて 峠越えであるが
いってみようと 皆とは分かれて 一人で歩いているとお婆さんが家から出てきた
路を整備したが 歩き遍路は 少ないし あっても楽な国道を辿る人が多い
それに ここは取っ付きが解り難いので 雨天でない時は こうやって
有志が出て 案内している と。
(山道は とっかかり が問題で そこで まよってしまう
としたのに 対して)
荷物になるだろうが
と缶飲料とクラッカーを戴く。
色々な人達と話しが出来るのが
楽しみの様でもあり 案内道標造りは全国からの
寄付と参列があった、道標礎石の下には 一字一石を埋め込み高僧が法要;
北海道・京都 遠くは アメリカ人からも便りを貰い孫に読んでもらった事もあると
楽しげに 色々語ってくれた
・人絶えて 古道に 群れ為す 銀竜草(ギンリョウソウ)
*遍路道は狭い山道だが
良く整備されていた 尾根道に出ると 黒竹が自生
余り 往来が無いのか ギンリョウソウが 束になって
アチコチの道脇にあった
中腹で 後から別ルートでやってきたY氏が お接待で 戴いた イチゴの
お相伴に 預かる 水気が多く おいしいもの だった
・バイクにて 「同乗」二人の 遍路過ぐ
*国道に出て 歩いていると カブの後部座席に荷物を積み菅笠をかぶせた
バイクが追い抜いていった 「同行→同乗」 とお大師さんも ラクチン?
・雨の中 お前も一人か 痩せ 野良公
*岩本寺 に近づく 道端の小さな祠の軒下に 野良犬
足を怪我している様子
引き返して 持っていた 大きな ぶどうパンの塊を
「お接待」
( 1 )
・お遍路も 聖俗 世界を 棲みわけつ
*岩本寺 到着 先行していたY氏と お酒屋さん
へ
あった あった 「土佐鶴」 Y氏は 店を飛び出し 肴を調達に
「少し 引き返したところで旨そうな 竹輪を 売ってたよナ」
店先で おかみさんと お遍路 談義をしながら
まず一杯
宿坊で 久保君が お近付きの印 にと
土佐鶴 一本と 梅干しを 運び込んで来る
初日から 満ち足りた 気分になる
今年は 「修行の道場」とされる土佐の国を終り 来年は 「菩提の道場」とされる
伊豫の国に入るのだが 「修行」と「菩提」の間を 行ったり来たり
「こんなんで ええんやろか?」
・般若湯 それより前に 伝授かた いずまい正し
般若心経
*はじめの頃は 「お遍路」はジョギングのコースにすぎないvs 参拝 位しっかりすべき
の論争も発生した しかし 徐々に考え方も
変化?
笈擦・輪袈裟・頭陀袋・金剛杖・・と買い求めるようになり
般若心経の勉強会も
岩本寺では Z氏が Y氏に般若心経の詠み方を 習っていた
夜のお勤め はなかったが 翌朝 6時から 朝のお勤めに
2日目 (岩本寺〜土佐中村 岩本寺で 久保君が合流 55,048歩 45km
出立時には 雨模様だったが 日中は晴れ しかし後半崩れて
最後は 又雨)
・永き間に 身の丈 似合いの 遍路みち
*岩本寺がある 窪川町は 標高320m ここから 海岸へ 徐々に下る事になる
昔からの遍路路も国道や施設に分断されている個所が多い 皆から200m位
遅れて 久保君と歩いていた 中途から入った 遍路路がトンネルの上に出た
トンネルの上を跨いで 更に急坂を降りる 暫く歩いていると
森ママ・久保 タマコ姐さんが 走って追って来る ???(どこで 追い抜いた?)
先行していた皆は 坂は剣呑と トンネル地点から 国道沿いに 切り換えた
ところ
山を大きく 巻く事になってしまった由
「逆 打ち」だと 難儀だが 「歩く」のに最適ルートが 自然に
出来ていったのだろう
・昼食は 海辺の町の 初鰹
長い下りも 又楽し
*雨空も 晴れ上がって来る あと10km位で 土佐佐賀の港町 休憩&足の手入れで
先に進む ワゴン車の支援部隊に昼食をとる場所は 「鰹のタタキ」もありますか?
との 確認を依頼する
(「注文には 応じます」の 店だと聞かされていたのだが「お生憎さま」の返事
「もう〜 そんなの あり〜」 生ビール と カツ丼 で我慢をする 修行である)
( 2 )
・「さようなら」 声が接待 下校性
*土佐佐賀にむけての
路上で 下校中の小学生の女の子 「さようなら」と大きな声で
その後から やってきた餓鬼大将風の三人組みは 「こんにちは」
3年目の時も 自転車で登校中の女子学生が「おはようございます」
こうした 他人との なにげない挨拶が スッと出て来るのは ほのぼのとした
感慨を もたらせてくれる 昔はそうだったンダヨネ 皆も同じ 感想を洩らしていた
・野藤 合う 古トンネルの 赤レンガ
*案内図 にあった 遍路道に入る 村人に挨拶をすると「先を左に」と
教えてくれる 小さな神社の横を抜けて峠に出る
赤レンガの小さなトンネルがあった 説明板に明治時代に土佐佐賀港から
二個一銭の小遣いで小学生がレンガを運び上げて構築した
初めて見た古老が「トンネルちゅうものは入口は大きくても
出口は小さなものじゃな」と 語った とあった
今は 国道が 小山を迂回して 出来ており
歩く人も 途絶えがち なのか
・四万十を 目指す「気付け」を確かめつ 「鰹のタタキ」に「鮎の塩焼き」
*昨年の帰途 次は土佐中村の 「鮎の塩焼き」を目指して歩こう
としていたので 昼食時に 先達さんに頼んで 携帯電話で 宿に確認を取る
・陽光に 疲れもいずこ 遍路みち
みかん花の香 輝きおりて
*海岸沿いの 村の中に入る 山が迫り
枇杷・蜜柑が斜面に植えてある
青空も広がって来る
枇杷は熟れている 蜜柑の花が 真っ盛りで 一面匂っている
室戸岬を廻って 高知を目指し出した時にも 同じ風景があった 斜面に枇杷と蜜柑
・痛む膝 歩速の低下 一段と
見ゆる岬は 霞に消えおり
*土佐中村に近づく 足摺岬が見えた が足摺の手前の岬は驟雨に煙り
その先に 明日目指す 足摺岬がある筈だが 海の中に溶け込んで
見えない
ああ 明日は あそこまでか
と観ていると 余計に膝が痛い
つれて 雨も降って来る 最後は一人で雨中をザブザブと歩く
*室戸岬は 土地が隆起しているので道は 海岸沿いに フラット&直線的
片や 足摺岬は 沈下している リアス式海岸
従って 道路は アップダウン&小さな岬を 出たり
入ったり と対照的 になる
・アマ無線 手慣れた 遍路も 面食らう
「ビール追加」 に 「はい 了解!!」
*連絡用に アマ無線と携帯電話を持参して お互い連絡を取り合っているのだが
土佐中村の民宿の 姐さんが陽気で元気が良い
「ご飯は 五杯までは 只ですよ、 六杯めからは お代を戴きます」なんて
受け答えのたびに 「はい 了解!!」と大きな声で。
アマ無線組は 「ROGER !!」 でゆくか?
( 3 )
3日目(土佐中村〜足摺岬 47km 膝が痛くこの日はSKIPする事に
同じく 足を痛めた久保君と和田パパが運転するワゴン車で足摺に移動)
・幼な児は 爪先立ちにて
甘茶掛け 母 支えており 花祭り
*この日は 旧暦 4月8日 の花祭り 38番・金剛福寺に納経に行くと
本堂の前で 小さなお釈迦さんが甘茶の 中に立っていた
女の子が 若いお母さんに 促されて 甘茶を掛けている
幼稚園以来の 甘茶を掛け 飲んだ 「そう 言えば こんな
味だったな」
・クジラ刺し サザエにトコブシ
カツオ在り 生きる幸せ 足摺岬
*室戸 出身の久保君 時季の旨いものを 食べてもらいたいと
宿の帳場で交渉・・
不調だったので 街に出てみる 一応下見はしていたのだが
展望の利く 店に入る 「あった!! あった!!」
4日目(足摺岬〜大月町 土佐清水の先 大阪南港から来る フェリーの港まで
午前中のみ歩く 明日が最後なので大事をとって 23,927歩 20km)
・「雉打ち」も 狩人
次第で 機関銃
*足摺岬の 国民宿舎を出立 良く晴れた 爽快な日和
西海岸沿いの道を辿り
中途で遍路道に入る 林の中を歩く
X氏と 後先になる 「何処にいっとたと?」から始まった 会話
X氏 昨年 自転車で お四国参りをしたとかで 色々と
聴く
ex 野宿用の 公園は 子供たちが知っている ;果物を積んでいると 渇が癒し易い
・お遍路も 午後には
近道ファン となり
*中浜 万次郎 の出身地を 過ぎた地点で 「遍路マーク」が二万五千の地図と
違う方向を 指し示している 土地のオジサンがやってきてマークの方は
昔の遍路道 しかし最近 上に上がった処に道路が出来て
その方が
随分と近い どちらにされます?
同行の X氏と顔を見合わせて「僕 近いの 大好き!!」
そこには 小川が流れていて 河鹿が盛んに ないていた
・来て困る 天災予報も外れると
なにやら寂し 平和ボケ
*土佐清水に近づく海岸沿いの道 パトカーがやってきて 「沖縄付近で地震発生!
十時半頃に 2mの津波が来る危険性があります 磯釣り や 瀬に渡っている人は
注意して下さい」 のスピーカーを 聞いていた
「2mはスゴイ 何時に 来るのだったかネー」 等と楽しみにしている 気配&会話
ソロソロ来る時刻なのに
海面に目立った変化なし
無線で 先行しているグループに照会
「異常なし・警報解除!で
濱に集まっていた人も 皆帰ってしまったヨ」で ナーンダ
( 4 )
・スーパーの 出口で受ける
お接待 道脇に寄りて 合掌す
*土佐清水の 市内を歩く
スーパーから出てきた
お婆さんから 五百円玉 を受ける
・10年の 歳月経ても
あざやかに 遍路風景 語りおり
*10年前に 五回目の お四国参りを しました・・と楽しそうに
語るお婆さん
横にいた 連れのお婆さんは「私は 明日から お四国さんに 出かけます」と
これまた 嬉しそうに
・隣人の 轟く鼾に 嫌疑受け 足けたくらる 遍路宿
*寝た場所が まずかった となりの豪快な鼾 こちらも目が覚めていたが
反対側に 寝ていた Y氏 てっきり我が輩が 震源地と勘違い
コツコツと足を蹴っていた 勘違いだが まあ〜いいや とそのままに
が 鼾は 更に勢いを増す
再度 コツコツが来たので 起き上がり 「アッチだよ」と
指で合図
「こりゃ 又 失礼しました」
震源地の 常連X氏 翌朝 起き上がり様に 「僕
鼾を かいてないもんね」
し〜ん と静まり返る
5日目(39番
延命寺 迄の 最後の行程
雨中の道 24,969歩 21km)
・なつかしき 言の葉 投げ来る 高校生
*宿毛に入る頃 男子高校生が 二人 自転車で 後ろから 「よけてくださ〜い」
そう言えば そういう言い方があったな〜都会なら「すみませ〜んどいてください」
又は 無言で 分け入って来るのが通常の やりかただろう
・顔つたう 雨のしづくよ 甘露かな
*宿毛市内をかすめて 土佐くろしお鉄道「東 宿毛」駅を 右に見て 歩く
雨は降り続く 松田川の橋を渡る 風が強く 傘も真横にして
腰で支える
「風よけ」 のために自然と 「瞽女(ごぜ)」さん流にうつむき加減に 一列になる
体温が 上がっているのでびしょぬれでも 寒くなく 雨が甘い
・膝痛め 杖にすがりた
遍路人 ピノキオ様にて 歩を進め
*金剛福寺で 金剛杖を 求めたが これが
たいそう 役にたった
膝を曲げると痛いので
勢い つっぱった歩き方になってしまう
・空腹が 我が身押しやる
戻り路
*今年 最後の 39番・延光寺に 午後一時前に着く
「昼食は 何処にしようか?」「2km 引き返したところに“豚太郎“があったヨ」
「そうだ そうだ」で 異論なく 決定 生ビールで乾杯!!
(ラーメン屋の チェーン店 アチコチで 見かけているので 全員 納得)
( 5 )
・船待ちや 刻の歩みも
所在なげ
*最後は 例年の通り 「お風呂」が要る 温泉センター 「アサヒ健康ランド」へ
午後 10時30分の出帆まで時間有り 二度 風呂に行く人; デッキチェアで
眠る人; 映画を観に行って寝ている人 (三船俊郎の 「宮本武蔵」 だった
と);
荷物を整理・土産の買い込み&詰め込む人;
週刊誌を読む人・・
6日目(フェリーで 宿毛から 佐伯に渡る AM1.15着
初日 高知まで 夜行バスでやってきたメンバーは佐伯駅から 夜行特急で
周崎さんチームは夜の宅急便で 自宅届けに 2時間50分で帰着)
・「三人組み」 船の中でも
遠巻きに
*二時間四十五分と短時間の 船旅だが それでも 鼾と 性分が合わない Y氏は
離れた区画に移動 他のメンバーも 付かず離れずの 距離を置いて 毛布を被る
好き好んで 鼾をかいているわけではないのに
なんとなく 「ものの あわれ」を感ずる 大袈裟か?
今回 参加12名の内 全行程 踏破は 仲上氏・清水氏・森ママと 三人のみ
散々たる結果であった 事ほど左様に 想定どおり 一番の難所に終った
幸いに 足摺岬への 下り・上りの二日間は晴天だった
合計 206kmであったが
長崎街道が 合計210km 小倉と長崎の間に 23の宿場がある そうした距離
それに 相当するものを5日間でだから 強行軍ではあった
*昨年 T・N
両君が 仕事で訪中した際に西安・青龍寺を訪れた由 その際に N君の
奥さんが カミさんにと お数珠を求めた処 案内していた 現地のYさんが それでは
片手落ちと 小生へと 同じ物を求めて 託された
今年から そのお数珠を 同行する事とした 多くの人の 想いや 善意と共に 歩く
*来年から 土佐(「修行の道場」)を離れ 伊豫(「涅槃の道場」)に 入る
全行程の 半分程 やってきた 事になる
*今年は 「土佐中村から 足摺岬迄(47km)」 と
「土佐清水から 大月町迄(30km強)」を
SKIPしたので来年 早めにやってきて 穴埋めを しなくては
ならない
*来年 40番・観自在寺がある御庄町には 旧海軍戦闘機 「紫電
改」を 宇和海から
引き揚げたものの保存記念館がある
高知市・五台山の牧野植物園 と共に 訪れたいと 思っていた 場所
− 了 −
( 6 )
『追記』
{5月16日 反省会}
@出席した 木元さん の話し
*昨年 参加出来なかったので今年は早めに出て 昨年の始点、高知市内・安楽寺から。
中村の宿に 電話連絡があった時は「明日は 39番延光寺へ向かう」と
グループよりも かなり先行していた
・テント持参の20kgの荷で
一日 約30km強の行程
これ以上 距離を延ばすと 疲れが貯まって来る
三日間 テント泊りをしたが体臭が 自分の事ながら・・ これはキツイな
と感じて
素泊まり で行く事に変更 (下着は 交換して洗濯すれば良いとしたが雨で・・もあった)
・案内書の距離を大目に見ておく 遍路道のとっかかりで時間を食う事がある
午後2時くらいにはどこで泊まるか見当を付けて宿の 予約手配をし
4時には 到着
翌朝は 5時に 出立の段取りで歩く 山歩きと 同じ要領
・初期には 一挙5個所に 「豆」が出来たが徐々に なじんだ
雨模様になるとみて靴の中が濡れないように登山靴に近いものにしたが
長期間には 不適だった
トレッキング 又は ウォーキング シューズが正解
ジョギング シューズは 悪路や 雨に 弱い
・「お接待」は 4回受けたが
それぞれの感慨があった
「気持ち」の 接点である事は 確か
・旅程は
バスで高知→桂浜→種間寺・近く→青龍寺→須崎→岩本寺→中村の手前・
入野松原→足摺の手前→清水→宿毛 と 現地9泊
*連休中に帰れば良いと気は楽だった 由
と 言っても 300kmは超えている
A 「豆」対策の総括
色々 各人試してきたが 今迄の経験からした
最上策
・ガムテープを 豆の出来そうな
ところに キッチリと 貼る
緩みが出来たり 隙間が空くのは そこに「豆」が出来 良くない
ガムテープの 材質は 頑丈で表面がツルツルしたものが良い
・指の間に 豆が出来る人は
ワセリン 又は オリーブオイルを 擦り込む
・靴下は 「指」が付いた
物が良い
*足の裏の皮膚の摩擦で出来る のだから これを回避すれば 良い
という事である
「マサイ族」クラスの頑丈さに成る
( 7 )
・それでも出来た時は 針に木綿糸を通し 糸を赤チンに浸した上で豆 の中に針を通す
浮腫の中を 通すので
痛くはない (「豆」も 適当に
成長した時が 手当てを し易い)
豆 の中に
赤チンが残る 上から数度押さえてリンパ液を押し出すと共に 赤チンを
拡散させておく
その上に 大き目のリバテープを
貼り付けておく (消毒と リンパ液を吸収させる為)
− 木元 流 「豆」 治療法
以上
( 8 )